第449回 『 最後に 』2

  • 2012/01/13(金) 15:00:00

・「指導力の源泉」考える技術が、本章をもって最終回を迎えました。終わりに当たり「考え」を正しく考える、あるいは「考え」を深める方法は何かを考えてみました。端的に申せばそこには二つの方法があります。一つはテーマについて自分の考えをまず書いてみる事です。テーマについて誰でも二つか三つ、言いたい事があるはずです。まずそれを二つ書く。それを何度も読み直すなら言及すべき事がいくつか思い浮かぶはずです。こうして5、6項目が出てもう言うべき事がない時が完成です。

・第二の方法はそのテーマについて誰かと話し合う事です。話し合う相手の知的レベルが高ければ良しとしましょう。自分の考えとは違う人は更に良しとします。三人寄れば文殊の知恵、人数は二、三人いればなお良いでしょう。
以上二つの事は別々に行う事はありません。書いたものを読んでもらって話し合えば改善点がいくつも浮かびます。逆に話し合った事を書いて又話し合う事も有効です。
・では考えた事をどのように文章に表現するか。その技術については幸い「能力改革」7 文章教室(2009年2月20日配信。1〜10章まであります)があり以下転載致します。

【 分量はテーマによって決まる 】
・文章は自分が選ぶか、他から与えられたテーマについて書く。そのテーマには、重いものもあれば軽いものもある。そのテーマが重いか軽いか、書く前に分かっている場合もあり、そうでない事もある。初め軽いと思っていたテーマが、書き始めて重いテーマと気がつく事もあり、その反対の事もある。
・私が書くメルマガの場合、テーマが軽いものであれば、一つのテーマが1章か2章で終わりにする。テーマが重ければ、5章になったり10章必要になることもある。昨年から掲載した「絶妙のタイミングを狙って、負の連鎖」は全36章になった。また、2008年3月の「善福寺川の櫻並木」は2章で終わっている。(中略)

【 たくさん書いてバリバリ削る 】
・ここに到って、書くテーマに対する私の取組み方が良く分かった。まず、書く分量はテーマによって決まると割り切っている。そのテーマについて頭に浮かぶ書きたい事はすべて書く。テーマに対する章の数は、ある意味では私の思考、発想の限界を示している。私のメルマガを読まれて、「アレッ、この点の言及がないぞ」と思われたら、私がその部分の問題の存在に気付かないか、気が付いていても価値ある発想ができない事による。それが私の考える技術の限界線だと思って頂きたい。
・次に、すべてを書く事で長い文章にしてしまう罪亡ぼしに、文章の余計な形容詞を省き、短い表現を心がけている。必要でないと思われる描写や説明は容赦なくカットする。これによって文章にキビキビとしたリズムが生まれたら、成功となる。……なかなか成功する事は少ないが。たくさん書いてばりばり削る、これが私の文章作法である。

・もちろん、重いテーマを短く表現せねばならないこともあろう。これまでのところ、私にはそういう経験はなかったが…。しかし、文章の長さはテーマによって適切な長さというものがある。そのように考えておくことが自然であろう。(以下略)

(完)
主席研究員 財部一朗


追記
・10年余の私の拙いメールマガジンをご愛読くださり、心より感謝申し上げます。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

第448回 『 最後に 』

  • 2012/01/06(金) 16:00:00

・新年、明けましてお目出とうございます。旧年中は色々とお世話になりました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。その旧年において、下り坂の日本に追い打ちをかけるように東日本大震災が起きました。本メルマガ読者の中にも被害を受けられた方が何人もおいでだと存じます。そのお苦しみは如何ばかりだったでしょう。お察し申し上げます。そしてこの新春をどのようにお迎えでしょうか。本年が良き年となります事を心よりお祈り致します。

・さて本メルマガ配信以来10年がたちました。その第1章は忘れもしない「小樽運河」でした。「考える技術 指導力の源泉」というテーマは私には負担であり、一章を書き上げる作業そのものが私の考える技術の稽古でした。そして配信が450回を迎える今が、止め時と判断致しました。読者の皆様もあきられたでしょうし、私も疲れました。そういう事で本章と次の章をもって「完」とさせて頂きます。最後に私の記憶にある思い出の章をご紹介します。


『 日本で最も潰れやすい会社 』 4 (抜粋)
・養成学校のマスコミ取材は昭和54年に始まって、ほぼ10年で一段落した。思えばよく続いてくれた。その中にアメリカのCBSテレビの人気番組、シックスティ・ミニッツが当校を取材放映した。これが不思議なお客をニューヨークから学校に運んで来た。ミロス・フォアマン。ハリウッドの映画監督。『カッコーの巣の上で』(製作昭和50年)でアカデミー監督賞を受け『Amadeus(アマデウス)』(製作昭和59年)で二度目のアカデミー監督賞を得た人物である。

・平成3年のある日、フォアマン氏がプロデューサーと通訳嬢を連れて山の学校にやって来た。そして数日間、朝から晩まで熱心に訓練風景を見学していた。氏は訓練が気に入ったらしく、スタジオでなくこの学校で撮影の許可が欲しい。それも本物の訓練生を撮らせて欲しい…と。曲折はあったが私たちは氏の希望をおおむね許可した。
・それから、驚く事に三人は一年間学校に張りついてシナリオ作りを始めた。アメリカの青年が日本にやって来る。彼は機中で力士志望の青年と知り合う。主人公は東京で女性と知り合い好意を持つ。彼女が学校の女性審査員。彼女を追って富士宮に行き、彼は『ヘル・キャンプ』に入校する。
 
【 主人公はマイケル・J・フォックス 審査員は大竹しのぶ 】
・シナリオが仕上がるとキャスティングだ。主人公はマイケル・J・フォックス、審査員は大竹しのぶ。学校の校長に長塚京三、音楽は坂本龍一に決まった。

『 日本で最も潰れやすい会社 』 5 (抜粋)
・ところがとんでもない事が持ち上がった。フォアマン監督は大相撲の実戦を10台余の撮影機を駆使して撮る予定で、すでに相撲協会の許可を得ていた。ある日の委員会で、横綱審議委員であるソニーの盛田昭夫会長は挨拶をした。『いよいよヘル・キャンプの撮影が始まります。よろしくお願いします。』すると突如、一人の委員から強硬な反対意見が飛び出した。『007で苦い思いをしたじゃないか!』

・それからどのような経緯を辿ったか私は知らない。『養成学校が主な舞台じゃないか』という意見もあったらしい。兔に角、相撲協会では実戦の撮影は拒絶と決まった。

・フォアマン氏は去り、アカデミー賞の監督が訓練風景をどう描くかを見たい思いが私には残った。また、高校時代に松下電器の松下幸之助社長が来校され、その講演を聴いていた。25歳の時、東京有楽町の日劇ミュージックホールで雷族の親方、本田技研の本田宗一郎社長の熱い言葉に接していた。そしてソニー。それだけにソニー盛田昭夫会長とお会い出来るかもという期待が、指の間からこぼれ落ちていることに気が付いた…。

・それにしても浅慮であった。映画製作に全面協力をした養成学校の社長との面談を、盛田会長が拒むはずがなかったのだ。こんな事に今頃になって気が付いた…。

(この項、続く)
主席研究員 財部一朗

第447回 『 ボイストレーニング 』2

  • 2011/12/23(金) 15:00:00

【 秋陣営の霜の色 】
・スナックで歌を歌う時、始めの一曲を決めるのに私は苦労していた。そのような事に備えて、今では一番に歌う曲を決めている。それはたいてい唱歌であり、たとえば中田喜直作曲の 「夏の思い出」などだ。ある日フト滝廉太郎作曲の「荒城の月」を歌って、荘重な調べの名曲だと気がついた。キイは少し高いが、私は音を下げる事なくそのまま歌えた。何回か歌う内、私は曲もいいが土井晩翠の詞もまた力強く心にしみるのを感じた。一番の詞の出だしは「春高楼の花の宴」。詞はいきなり曲を聴く人々を、城の高楼で開かれている花の宴に招き入れる。季節は春だ。

・二番の出だしは「秋陣営の霜の色」。詞の作法に従って一番が春なら二番は秋になる。そして櫻に対し霜が対置している。私は養成学校の校歌では冬と夏を使った。「春いまなお遠く 風すさぶる所」、「暑き真夏の太陽 この身をさらし」
一番は宴で「巡る盃」、対する二番は「鳴きゆく雁の」と、いかにも秋らしい。

・歌う度に漠然とそんな事を感じていたがある時、秋陣営の「陣営」という言葉が気になった。何だろう、戦場なのか。そう、「植うる剣」とあるではないか。この時私は思い出した。私は植うる剣を見た事がある。それは黒澤明監督の映画「七人の侍」の最後のシーンであった。三船敏郎扮する百姓出の浪人菊千代が、山賊の最後の襲撃に備えて背後に十数本の剣を植え、一本ずつ引き抜いて戦い最後に戦死する。剣を植えるのは黒澤明のアイデアかと思っていたが、昔からあった戦法なのだ。そしてこの時、土井晩翠が「荒城の月」の短い詞に込めた壮大なドラマに気がついた。以下……。

『荒城の月』
詞:土井晩翠  曲:滝廉太郎

一 春高楼の花の宴 巡る盃 影さして
  千代の松が枝 分け出でし 昔の光 今いづこ

二 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の 数見せて
  植うる剣に照り沿ひし 昔の光 今いづこ

三 今荒城の夜半の月 変わらぬ光 誰がためぞ
  垣に残るはただ葛 松に歌ふは ただ嵐

四 天上影は変はらねど 栄枯は移る 世の姿
  映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月


現代訳:財部一朗
・小高い丘の一角に、築城成った新城がそびえ立つ。その高楼では秀麗な武将を前に、侍達が居並ぶ。時あたかも春の宵、長く続いた戦陣に、ようやく訪れた和平の日だ。
女官の白い手が差し出す盃があちこちで舞い、庭の篝火に浮かび出る櫻花の宴。亭々とそびえる赤松の枝を縫って、女官の盃を月の光が照らしていた。あの光は…。

・歳月が流れた。そして深まる秋の夜半。あちこちで篝火が天を焦がし、かたわらで泥の如く眠る兵。城を囲む陣営の此処に霜が白く降(お)り、かの新城は一部が黒く焼け落ち戦場と化した。
明け方に近い。堀に眠る雁の群はただならぬ気配を感じ取る…。ヒタヒタと迫る千余の兵、数百の雁が羽音激しく一斉に飛び立つ。
城門は僅かな手兵に守られて。今しも広場に白髪の武者が一人、死装束を着け最期の刻に備えて立つ。武者はフト顔を上げ、鳴きゆく雁の群を見やる。その顔は、紛れもなくかの秀麗な武将の老いた姿だ。
・武将は、作法に寄って鞘を払った裸身の剣(つるぎ)十数振りを背後に植えて敵を待つ。かって花の宴(うたげ)の盃を照らしたあの月が、この夜は十余の剣の刃を光らせている。あの光は、今いずこに…。

・かって侍達が命を懸け夢を結んだこの城も、今は住む者もなく荒れ果てた。夜半というのに、月は変わらぬ光を投げかけてくる。これは一体誰のための作業なのか。月光を受けて、かって綺麗に手が入った石垣も今は葛がはびこり、頭上では嵐が赤松の梢を、ただビュウビュウと騒がせている。

・見上げれば天空、この荘厳な星座の輝きに変わることはない。が、栄枯盛衰が世の習いだ。今に残る荒城とこれを浮かび上がらす夜半の月は、荒城を舞台に繰り広げられた栄枯の移ろいのドラマを、観る者にすべて映し出さんとするが如くだ。荒城の夜半の月よ。嗚呼…。

土井晩翠
明治4年生まれ―昭和27年没。享年80歳。
東京帝国大学在学中に『帝国文学』を編集し多くの詩を発表。男性的な漢詩調詩風で知られる。

滝 廉太郎
明治12年生まれ―明治36年没。享年23歳。
明治の西洋音楽黎明期における代表的な作曲家。「荒城の月」は明治34年作曲。代表作は他に「箱根八里」「花」「からたちの花」などがある。

(この項、終了)
主席研究員 財部一朗

第446回 『 ボイストレーニング 』

  • 2011/12/16(金) 13:07:06

【 発声とイメージトレーニング 】
・2年前の春に始めたボイストレーニングは幸い今も続いている。月4回、1回1時間10分程度のトレーニングだが声の質が変わった。ボイストレーニングといっても発声の訓練は10分程度であとは身体を柔軟にする運動、足の裏から大地のエネルギーを吸い上げ身体を通して頭から天に放出する等のイメージトレーニングが間断なく続けられる。そしてトレーニングが終了すると清々しい気分になる。

・ボイストレーニングでは低い音、高い音で「オー」「アー」を発声する。求められるのはなるべく長く続ける事だ。歌が好きな私はこの種の事は得意なはずだ。ところが5年7年と続けている先輩たちは私の2倍は声が続く。全身から力が抜け、彼女らの身体は楽器となって僅かな息の量で声が出る。中の1人は私と同級生だ。それでも1年8ヵ月のトレーニングで、私の発声もだいぶ長くなっている。講師によるとトレーニングを続ければ声は死ぬまで良くなるそうだ。そして女性よりも男性の方が発声は長く続くと。私が彼女達を越える日が来るのだろうか。ボイストレーニングが身体にいいのは間違いない。また発声の時間が長いという事は海に潜ればその時間潜水できるそうだ。

・また彼女たちに倣って私もこの春から歌の指導も受けている。歌は「荒城の月」から始まって今は「ダニーボーイ」「青葉城恋歌」などだ。カラオケの字を見て歌うのと違い、楽譜を見ながらピアノの伴奏で歌うのは私には3倍は難しい。カラオケは良くできていると改めて感じる。私は大学時代に仲間同士の混声コーラスをやり、パートはバスを歌っていた。最近のカラオケでは、歌の好みに委せて高いキーの歌を選んで歌っている。アニマルズの「朝日のあたる家」森山直太朗の「さくら」長渕剛の「とんぼ」など。講師によると私の声は典型的なテノールだという。

【 まず姿勢 】
・歌うときの注意点はまず姿勢、まっすぐ前を見て自然に立て。この点で度々注意を受けている。決して力まず力を抜く。そして声は自分の後方に響くように…。「そう、その声でマイクを使わなくてもホールの後ろの席まで充分に響きます」へえ〜。高いパートの声は届くとして、低いキイの声が届くというのは信じ難い。講師は時々ほめてくれる「美声ですね」ある時こんな言葉も聞かれた。滅多にない美声の持ち主…。そう言えばスナックで私が唄うと「この人は、この顔で少年のような声で歌う」と言うおじさんがいた。この顔で、はないと思うけどなア。

【 夜明けのスキャット 】
・由紀さおりの「夜明けのスキャット」がアメリカで突如大ブレークし、ヨーロッパにも飛び火していると聞く。面白いのは彼女は日本語で歌っている事だ。歌手の容貌や曲想もいかにも日本的である。我々も英語で歌う曲を聴くが、日本語のように馴染みのない言葉が欧米人に受け入れられるのが興味深い。彼女は1969年の歌にこだわり、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」なども歌う。今、彼女はアメリカに招かれ、ニューヨークを始めアメリカ各地で公演している。テレビで観客は「癒やされる。すばらしい」と感想を述べていた。

・あの頃はいい曲が沢山あった。曲は欧米で十分に通用するレベルにあると思う。それらが海を渡って次々に歌われたら楽しいだろうと思う。欧米人もだが、日本の若者も古い歌に目を向けてもらいたい。昔は毎日のように歌番組がテレビで放映されたが、なぜこんなに減ったのだろう。最近の若い人が好む歌が中高年に受け入れられず、視聴率が取れない為かな。それなら古い歌で構成すればいいのに。スナックで歌う私の古い歌は若い人に受けている。先日も長渕剛の「乾杯」を歌ったら、すれ違った時若者に「いい歌をありがとうございました」と礼を言われた。歌う人がいなくて、彼らは古い歌を聴く機会がないだけなんだ。

(この項、続く)
主席研究員 財部一朗

第445回 『 絶妙のタイミングを狙って、負の連鎖 』後書き

  • 2011/12/09(金) 15:26:10

【 10分1000円の理髪店 】
・野田新首相が就任直後のある日、10分1000円の理髪店に行ったと報道された。「ほー、なかなかやるもんだ」と度胸の良さに感心していたら、理髪店の業界団体から「不快」と抗議する意見があったそうだ。低価格店が拡大し、既存店にはたまらないらしい。報道は低価格店にとって思いもかけぬPRとなり、業界が不快というのもうなずける。私の行く理髪店は5年前までは7000円、次は美容院に変えて4000円である。1000円とは驚きだが、私の街では時間指定だが600円台の店が出現した。一度行ってみたいと思っている。

・自分達の存続を脅かす低価格店の拡大は、既存店にとって頭痛の種であるに違いない。「低価格店の出店を何とか抑える事ができないか」彼らは考える。が、そんなものがあるはずがない。ところがあるのだ。彼らはついに有効な対策を考え出す。まず低価格店はお客の髪を洗わない。従って椅子の目の前に洗髪台がない。これは理容店の衛生面では好ましくない事だとする。少し無理な論理だが…。そこで理容店には洗髪台の設置を義務づければ良い。これによって低価格店は設備投資に金がかかり、場所も広く取らねばならないから小さな店舗には出店できない。なるほどうまい手があるものだ。皆で考え出した智恵なのだ。では彼らはこのアイデアをどうやって実現したか…。

【 公的規制はかくして生まれた 】
・まず地域の理容組合が動く。彼らは保守系の県会議員に働きかけて理容師法の改正を図る。死活問題を抱える業界の要請を、政党は安易に批判できない。まして理・美容業界と飲食業界は自民党の牙城なのだそうだ。一つ業界のためベンチャー潰しといえる公的規制がかくして生まれた。国会も県議会も政治の世界はみな同じだ。政治家は票と利を求め、支払い代価に法律を作ってやる。今国会で問題になっている公務員の給与引き下げもTPPも、自分の支持基盤の意向が大切、国民や県民の為ではない。国会議員の定員削減など成立の可能性は薄い。

・産経新聞の伝えるところでは首相の地元の千葉県では今年7月に理容師法、美容師法が改正され、これにより洗髪台の設置が義務づけられた。低価格店の出店規制が狙いだ。(注1)同様の条例による規制は全国各地に広がっている。これに対し低価格店側はどうしたか。彼らは使われることのない洗髪台を、見えない所に一台設置するのだそうだ。これで条例の規制はクリアーされた。ああ、理容業界のせっかくのアイデアもこれで空しくなったらしい。この理美容師の衛生基準の設定権が県から市レベルに移譲されたという。今度は市議の出番だ。

【 東洋のハブ空港 】
・羽田空港に4本目の滑走路ができ、東洋のハブ空港をめざし本格的国際空港としてスタートして一年がたつ。産経新聞によると週末になると韓国に向かう観光客でいっぱいになるそうだ。出入国者数は昨年10月の27万4千人から今年11月に55万9千人に倍増した。ただ羽田は国内線で満杯で、国際便は一日80往復にとどまるそうだ。日本航空では8月9月の搭乗率は9割を超える路線が多かったという。(注2)

・大変結構な事だが、しかしライバルがいる。今年5月までの一年間の乗降客は、シンガポールのチャンギ国際空港の4271万人、韓国の仁川空港の3334万人に対し、羽田は520万人にとどまるという。韓国の人口は4800万人、これに対し日本は1億3千万の人口がある。一体何故日本はかくも遅れをとったのか。
先の「絶妙のタイミングを狙って、負の連鎖」13章において定期便の来ない茨城空港について書いた。日本の98番目の空港であり、テレビでは羽田から飛行機に乗り込む森喜朗元首相の映像を放映していた。小松空港は彼の政治家としての権力によって作った空港でもあった。

・なんでこんなに空港を作り過ぎたのか。空港誘致に尽力した政治家は政治家としての地位を強固なものに出来る。次に地元に直接の経済効果をもたらしてくれる。土木・建設業など様々なビジネスがこれによって活性化する。そしてこれらの業界や業者は、有力政治家の熱心な後援者でもある。官僚達は、無駄と知りつつ政治家の空港建設にダラダラ金を流してきた。官僚は自分達の天下り先を作り続ける必要がある。彼らは税金を補助金として天下り先の団体に流していた。政治家はそれと知りつつ、黙認した…。

(後書き、終了)
主席研究員 財部一朗

注1:平成23年9月19日付 産経新聞 一筆多論 「千円理容」を議会が阻む
注2:平成23年10月21日付 産経新聞
羽田国際化1年 遠いアジア・ハブ空港 成田との一体化カギ

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